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	<title>メキシコ写真旅行記 メキシコノート - LABRAVA [メキシコ 民芸 フォークアート 雑貨]</title>
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	<description>メキシコの民芸・フォークアート・雑貨</description>
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	<title>メキシコ写真旅行記 メキシコノート - LABRAVA [メキシコ 民芸 フォークアート 雑貨]</title>
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		<title>死者の日</title>
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		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Nov 2007 10:22:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>Capula, Michoacan, Mexico, 2001 &#160; メキシコでは10月31日から11月2日は、死者の日である。日本でいうお盆のようなもので、死者がこちらの世界に帰ってくる日。31日の夜から1日に [...]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[
<span style="font-size: 75%;">Capula, Michoacan, Mexico, 2001</span>

&nbsp;

メキシコでは10月31日から11月2日は、死者の日である。日本でいうお盆のようなもので、死者がこちらの世界に帰ってくる日。31日の夜から1日にかけて子どもの死者が帰ってくる。そして入れ替わるように1日から2日にかけて大人の死者が帰ってくるという。その間、家のなかに祭壇をつくったり、飾りたてたお墓で夜を過ごしたり、仮面をかぶって踊って練り歩いたり、お盆のときの死者の迎え方が日本各地で少しずつ違うように、死者の日もメキシコ各地でそれぞれである。死者が帰ってくる時間も地域によって微妙に異なるようだ。この時期になると、都市部ではガイコツの人形や砂糖菓子などがたくさん出回り、人が集まるところにはガイコツをあしらった祭壇がつくられる。日本でガイコツ祭りといわれることもある所以だ。

メキシコ中西部のミチョアカン州は、観光に力を入れ、ことに死者の日を目玉とした甲斐あって、国内はもとより外国からもたくさんの観光客が集まる。なかでもパツクアロ湖に浮かぶハニツィオ島と、湖畔の小さな町ツィンツンツァンの死者の日は有名だ。死者の日に欠かせないマリーゴールドの花やロウソクでお墓を飾り、ひと晩じゅうそこで死者と過ごす。それぞれのお墓でこういう風だから、墓地全体では幻想的で美しい光景になる。

2001年10月31日の夜、パツクアロ湖に程近い先住民プレペチャ族の村クアナーホを訪れた。ここでの死者の日は、その年に亡くなった人がいる家が立派な祭壇をつくり、人々を招くという。招かれたこの日は31日だから、帰ってくる死者は子どもである。その家はとうもろこし畑のなかの一軒家。真っ暗闇の畑を、30人ほどの人々と、なぜかついてきた3匹の犬たちの列に連なり、死者の家に向かう。まったくの暗闇で、目の前のもののかたちすらわからない。小川があれば「水！」、牛がいれば「牛！」と、列の先頭の人から順に叫んで教えてくれるものの、月の明かりとはなんとありがたいものだろう、と思った。月がかくれて暗闇が続くと、だれがいっしょに歩いているかもわからなくなり、まるで帰ってくる子どもの死者といっしょに家へ向かっているような気がしてくる。でも不思議と怖くはない、道連れがいると思うと心強く、守られているようなあたたかな気分だった。暗闇を小一時間も歩いたころ、ようやくたどり着いた死者の家には、大きな祭壇がしつらえられていた。祭壇となるテーブルの上にマリーゴールドと果物などが置かれ、その上には枝がアーチ状にわたされて、人のかたちをした死者のパンがたくさんぶら下げられている。テーブルの下には、招かれた人々が持ち寄った、食べ物や花でいっぱいのかごがいくつも供えられている。その横には、マリーゴールドで飾られた素朴な木馬が数頭。ガイコツは、ない。祭壇の前にみんなで座り、歌を歌い、祈り、酒を飲み、食べる。タバコがまわってくると、十字をきっていただく。さとうきびの蒸留酒チャランダを燗したものもいただく。特別な日だから、嗜む嗜まないにかかわらずみんないただきなさいと教わった。いつ終わるともなく、延々と続く祈りや歌。しんみりとしているわけではないけれど、騒々しいわけではない。陽気な感じではないけれど、悲しそうでもない。儀式ばった感じはまったくしない、心からの祈りを捧げ、ごく自然に死者と過ごす夜、そんな印象だった。

次の日、素朴なやきもので有名なカプーラ村を訪れたら、陶器市場の片隅に死者の日の祭壇がつくられていた。この祭壇はこぢんまりとはしているが、ガイコツをあしらった典型的なものだ。ガイコツの貴婦人カトリーナの絵皿や陶人形が供えられているのがカプーラらしい。ほかにもそこここにしつらえられた祭壇を見てまわり、夜になってツィンツンツァンやイウァツィオ村、ツルムータロ村などの墓地を訪れた。暗い暗い闇のなかに、遠くから見てもあそこが墓地だとわかるくらいに、ぽわんとロウソクの明かりが見える。ずらりと並ぶ観光バスで乗りつけた人々にならって、墓地内に入る。テレビ局も来ている。が、なんだかここにいては申し訳ないような心持ちがしてきて、早々に引き上げて遠まきにロウソクの明かりを見つめた。

街中にあふれるガイコツも、派手な仮面の踊りも、厳かな墓地も、田舎の伝統的なガイコツなしの祭壇も、どれもメキシコの死者の日にちがいない。でも今、死者の日といって思い出すのは、クアナーホの畑の暗闇を子どもの死者といっしょに歩いた、あの気配だ。もしかすると、あの日あの畑で、ほんとうの死者の日を体験したのかもしれない。
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		<item>
		<title>国立芸術宮殿のフリーダ カーロ生誕100周年記念展覧会</title>
		<link>https://www.labrava.jp/mexico-note/0008-frida-kahlo/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 15 Oct 2007 10:35:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>Mexico D.F., Mexico, 2007 &#160; 2007年は、フリーダ カーロ生誕100周年ということで、6/13から8/19までメキシコシティの国立芸術宮殿で大規模な回顧展「Frida Kahlo.  [...]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 75%;">Mexico D.F., Mexico, 2007</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2007年は、フリーダ カーロ生誕100周年ということで、6/13から8/19までメキシコシティの国立芸術宮殿で大規模な回顧展「Frida Kahlo. Homenaje Nacional 1907-2007」が開催された。</p>
<p>初日、たまたまメキシコシティに滞在していたので、国立芸術宮殿に足を運んでみた。もちろん会場内に入るつもりだったのだけれど、周りをぐるりと警官が囲んでいる。尋ねると、カルデロン大統領がやってきているためだとのこと。この日はオープニング・レセプションがおこなわれるので、一般人は入れないらしい。警官を囲むようにたくさんの人も集まっている。2006年の大統領選で次点となったオブラドールの支持者と教員組合が大統領に抗議するために小規模なデモをやっているのと、ただ集まっている人々だ。国立芸術宮殿前の、いつもはすごい交通量のファレス通りも通行止めになっている。この機会に大通りの真ん中を大手を振って歩いてみた。</p>
<p>さて、翌日、仕切りなおして出かけた。展示作品のなかには、2003年に日本で開催された「フリーダ カーロとその時代　メキシコの女性シュルレアリストたち」展でみた作品も含まれており、なつかしいような気持ちにさせられた。作品の点数もさることながら、この回顧展ではフリーダの手紙や写真なども併せて展示されていたところが新しい。これがことのほかおもしろく、主治医にあてた手紙の端の落書きや普段着のスナップ写真に、フリーダ カーロのかわいらしさがかいま見え、ほっとさせられるような気がした。きっと、フリーダといえば、あまりに壮絶な人生と、数ある穏やかな作品の印象を凌駕するかのような痛々しい自画像が、ついつい思い出されるからだろう。フリーダ カーロ自身が作品のように感じられるこの展覧会、日本でも、と思ったけれど、今のところ予定はないらしい。</p>
<p>会場となった国立芸術宮殿は、劇場もあるアート・センターとしてつくられたものだ。20世紀初頭、時の大統領ポルフィリオ・ディアスの命により、イタリア人の建築家アダモ・ボアリによって着工された。しかし作業は革命のために頓挫、ボアリもイタリアへ帰国してしまう。革命後、メキシコ人建築家フェデリコ・マリスカルが引き継ぎ、1934年に完成した。各階の回廊の壁面にはルフィーノ・タマヨ、フリーダ カーロの夫ディエゴ・リベラ、シケイロス、オロスコと、錚々たる顔ぶれの画家たちが壁画を描いている。鑑賞の合間に、この壁画をながめながらベンチでひと休みしていると、格幅のいい初老の男性が声をかけてきた。リタイアした医者だというその人、日本人かい？　ヒロシマやナガサキはひどかったね、メキシコもグリンゴにはひどいめにあわされたよ、という。続けて、ところでなんでアメリカ人のことを「グリンゴ」っていうか知っているかい？　米墨戦争のとき、グリーンの軍服を来ているアメリカ人にメキシコの人々が「アメリカに帰れ！green go !」って叫んだことから、そういわれるようになったんだ、と。白人の、ことにアメリカ人の蔑称であるグリンゴの語源には諸説あって、ほんとうのところはわからないけれど、このメキシコ人の心の底をあらわしているかのような壁画に囲まれていると、国土の３分の１をアメリカにとられたメキシコの人々が憎しみをこめてそう叫んだ、というのもまんざらうそじゃないような気がしてくる。内装はアールデコ調だが、国立芸術宮殿のなかは、とてもとてもメキシコ的な空間なのだ。</p>
<p>展示を見終えて、入り口近くのミュージアムショップものぞいてみる。と、数々のフリーダ グッズのなかに、見慣れた人形が。アギラール ファミリーのつくるフリーダ カーロ人形も並んでいたのだ。見る人によれば、フリーダの自画像を立体の陶人形にするなんてふざけすぎ、と思うかもしれない。でも、フリーダ カーロという芸術家の、国をあげての展覧会の会場で、すばらしいと思えばこういう小さなアートも並べることができるというところに、メキシコの美に対する懐の深さを感じる。これでこそ、まさに芸術の宮殿だな、とひとりごちた。</p>
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		<item>
		<title>後帯機で民族衣装を織るチアパス州パンテローの女性</title>
		<link>https://www.labrava.jp/mexico-note/0007-chiapas-pantelho-textile-maya/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 01 Oct 2007 10:22:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>San Cristobal de Las Casas, Chiapas, Mexico, 2001 &#160; メキシコのいちばん南のチアパス州には、マヤ系先住民が多く暮らす。旧州都サン・クリストバル・デ・ラス・カサス [...]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 75%;">San Cristobal de Las Casas, Chiapas, Mexico, 2001</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>メキシコのいちばん南のチアパス州には、マヤ系先住民が多く暮らす。旧州都サン・クリストバル・デ・ラス・カサス周辺のツォツィル族やツェルタル族などの先住民の村々では、人々がふだんから民族衣装を着て生活している。いつも民族衣装を着ていなければならない、と思っているかどうかはわからないが、そんなに意識しているふうにも見えない。ほんとうに民族衣装姿が自然な印象なのだ。ところで、もっと南に下ったボリビアではこんな話が。2007年のアイマラ族美女コンテストの優勝者のおさげが付け毛だったということで、優勝が取り消されたらしい。おさげは民族衣装とともにたいせつな伝統とされているのだそうだ。そのうえ、以前にも優勝者が「ふだんは民族衣装を着ていない」と発言して問題になったとか。サン・クリストバル・デ・ラス・カサス周辺の先住民たちの美女コンテストがあったなら、こんな問題はおこりそうもない。</p>
<p>サン・クリストバル・デ・ラス・カサス周辺に住む先住民たちの着ている民族衣装は、村ごとにデザインが異なっている。かたちはほとんど同じだが、模様が多彩だ。そしてどれもカラフル。その衣装を身にまとった彼らがものを売ったり買ったりするために、サン・クリストバル・デ・ラス・カサスに集まってくるので、町中はいつも色とりどりの衣装でいっぱいになる。シナカンタン村からやってきた男性は赤の地に花の刺しゅうを施した衣装を身につけ、チャムラ村の女性は水色や白のサテンの生地にリボンを縫いつけたかわいらしいブラウス姿、白地に赤系のみごとな色彩の模様を施した衣装を着ているのはサン・アンドレス・ララインサル村からやってきた人々。あまり大きな建物もなくしっとりと静かな街並みには、このカラフルな人々がよく似合う。山岳部では、今でも先住民の権利のためにサパティスタ民族解放軍が、武装行動は停止しているものの闘い続けているわけで、それを思えば先住民の歴史や生活のつらい一面を感じずにはいられないのだが、この町中でカラフルな人々が穏やかに道行く様子を見ていると、あまりに美しく、そして力強くて、一時の同情などするなと言われているような気がしてくる。</p>
<p>このきれいな民族衣装は、女性たちが後帯機で織っている。端を木などにくくりつけて、もう一方は帯状のものを腰に巻きつけて織る。そんな構造から、織る布は肩幅くらいのものがほとんどである。ツォツィル族の村パンテローのロシータさんも、やはり後帯機を使って民族衣装を織る。着ている衣装も、織っている布もパンテロー村独特のたて縞のカラフルなもの。ところどころに入っている小さな模様は、刺しゅうのように見えるけれどそうではない。織りながら色糸を入れていく縫取織という織りの技法である。たいへんな作業だけれど、その労力もいとわずきれいな布を織っていく。ロシータさんの黙々と動く褐色の手とできあがる色鮮やかな布のコントラストが美しい。なるほど、この衣装が彼女たちの肌の色に合うわけだ。</p>
<p>そして民族衣装をまとう彼女たちの伝統的な髪型は、ボリビアのアイマラ族と同じようにおさげである。リボンをいっしょに編み込んだりしたきれいな黒髪のおさげも、とことん真っ白になった白髪のおさげも美しい。ところが、ロシータさんはおさげではない。ポニーテールである。長い黒髪にはちがいないのだが、ロシータさんのようにおさげにしていない人もよく見かける。これも時代の流れなのだろう、ここだけ時間を止めておくとか止まってほしいと願うとか、そんなことを考えてはいけないのだ。おさげではなくても、黒髪のポニーテールも民族衣装によく似合う。彼女たちは、きっと自分たちの衣装にどんな髪型が似合うのかをよく知っているにちがいない。ボリビアのアイマラ族の美女コンテストも、おさげの付け毛ではなくて自前のポニーテールなら優勝を取り消されたりしなかったと思う。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>『ビリー ザ キッド 21才の生涯』のロケ地 チュパデーロス</title>
		<link>https://www.labrava.jp/mexico-note/0006-pat-garrett-billy-the-kid-durango/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 15 Sep 2007 10:40:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>San Vicente de Chupaderos, Durango, Mexico, 2001 &#160; メキシコ北部のドゥランゴ州は、映画のロケ地として有名。郊外には、チュパデーロス、ビジャ デル オエステなどの [...]</p>
<p>投稿 <a href="https://www.labrava.jp/mexico-note/0006-pat-garrett-billy-the-kid-durango/">『ビリー ザ キッド 21才の生涯』のロケ地 チュパデーロス</a> は <a href="https://www.labrava.jp">LABRAVA [メキシコ 民芸 フォークアート 雑貨]</a> に最初に表示されました。</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 75%;">San Vicente de Chupaderos, Durango, Mexico, 2001</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>メキシコ北部のドゥランゴ州は、映画のロケ地として有名。郊外には、チュパデーロス、ビジャ デル オエステなどの西部の町のレプリカがつくられ、そこで撮影が行われた。このレプリカの町以外でも、ドゥランゴ州のあちこちでいろいろな映画が撮られている。砂漠があって大きな河が流れ、岩の山があり、はたまた荒涼とした大地もあらわれる、というロケーションは、申し分なく絵になるのだ。</p>
<p>州都ドゥランゴ市から北に約15km。真っ青な空に土の道、ごつごつとした山を臨む小さな西部の町チュパデーロス。ここでは1955年に『コマンチ族』の撮影がおこなわれて以来、100本以上の映画が撮られたといわれている。『チザム』『エルダー兄弟』『戦う幌馬車』などがそれで、ヒット作もそうでないものも、いっぱいだ。サム・ペキンパーの『ビリー・ザ・キッド　21才の生涯』のいくつかのシーンも1972年から翌年にかけてここで撮られた。映画のなかのリンカーンという町は、ここチュパデーロスである。</p>
<p>セットは映画ごとに手直しされるので、完璧にリンカーンの町が残っていたわけではないけれど、そこここに名残があった。左の茶色い建物は、バルコニーこそ違うもののリンカーンの町の「SALOON」そのものだ。それにセットはつくり替えられても、まわりの自然は変えられない。馬にまたがるビリーの背景にあった山や木が、そのまま残っている。ビリーがリンカーンの町を去っていったのは、頂上が平らな山が見える奥のほうだ。とすると、絞首刑台があったのは、十字路のど真ん中。そして、もう建物は残っていないけれど、カントリー調のかわいらしいパット・ギャレットの白いおうちは、絞首刑台のこちら側にあったはずだ。と検証してみると、ああこの道をジェームズ・コバーンが、クリス・クリストファーソンが、ボブ・ディランが歩いていたのか、としみじみ実感した。というより、ああここにパット・ギャレットが馬車でやってきたんだ、ビリーが脱走したんだ、それをエイリアスが見ていたんだ、と信じた。映画が虚構の世界とはわかっていても、130年近い昔にほんとうにこのチュパデーロスにパットやビリーがいたような気がしてくる。</p>
<p>しかし、実は『ビリー・ザ・キッド　21才の生涯』の舞台はメキシコではなくニューメキシコ州。舞台も撮影もメキシコといえば、やはりサム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』だ。けれどこちらはドゥランゴ州で撮ったシーンはあるものの、ここチュパデーロスでは撮影されていない。パイクたちが鉄道事務所を襲った町やアグア ベルデ、マパッチ将軍の拠点などのシーンは、おとなりのコアウィラ州のパラスとその近郊のアシエンダ シエネガ デル カルメンで撮られた。</p>
<p>ところで、チュパデーロスのなかには墓場もある。レプリカの墓標には、ジョン・ウェインや存命にもかかわらずクリント・イーストウッドなど、西部劇のヒーローたちの名がずらりとそろっている。そのなかにエミリオ・フェルナンデスの名を見つけた。メキシコの名監督にして『ビリー・ザ・キッド　21才の生涯』のパコ、あるいは『ワイルドバンチ』のマパッチ将軍。彼の立派なヒゲを思い出しながら合掌して、ビリーが立ち去ったリンカーンの出口とは実は逆の方向にあるチュパデーロスの出口に向かった。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>マリア ヒメネスの木彫り</title>
		<link>https://www.labrava.jp/mexico-note/0005-oaxaca-san-martin-tilcajete-maria-jimenez/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 01 Sep 2007 10:33:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>San Martin Tilcajete, Oaxaca, Mexico, 2007 &#160; オアハカ州サン マルティン ティルカヘーテ村はオアハカン ウッド カーヴィングの主要な産地のひとつ。村の中心部のコンクリ [...]</p>
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]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 75%;">San Martin Tilcajete, Oaxaca, Mexico, 2007</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>オアハカ州サン マルティン ティルカヘーテ村はオアハカン ウッド カーヴィングの主要な産地のひとつ。村の中心部のコンクリートで固められた道を抜けて、土ぼこりの道を爆走してくる牛や羊をよけながら、強い陽射しに耐えに耐えてしばらく行くと、マリア・ヒメネスさんの家がある。マリアさんはいつも「どうぞ」と、足早に中庭に出てきて控えめな笑顔で迎えてくれる。その様子はごく普通の女性で特別な人には見えないが、彼女はオアハカン ウッド カーヴィングの有名な作家である。有名作家といえば、彫る人か、もしくは彫って彩色する人がほとんどなのだけれど、マリアさんは、彫りは４人の弟たちに任せて、彩色だけを担当しているにもかかわらず有名になった珍しい作家である。珍しいといえば、女性の有名作家というのも彼女ひとりだけである。</p>
<p>「春のことや自然のこと、花のことを思い浮かべながら描いているの」と、彩色の手を休めず静かに話すマリアさん。小さな声でゆっくりほのぼのと話す姿に、彼女の作品の繊細で美しく、どこか可愛らしい印象が重なる。そういえば、ある作家の奥さんが言っていた。作品にはその人の人となりがしっかりと出るのよ、と。お金儲けだけに心をとられて、小ずるくふるまう人の作品は美しくない、と。美しくないものはともかくとして、たしかにマリアさんの作品には、彼女のやさしい気持ちとものづくりに対する心意気がそのまま映されている。今ここでマリアさんのつくったブタやゾウを見ていると、一心に絵筆を動かしながら、静かに話すきれいな声を思い出す。写真を撮らせて、というと恥ずかしそうにエプロンを整える奥ゆかしい姿を思い出す。そして、いい作品をつくろうとする作家魂があらわれているかのような、きりりとした眉を思い出す。</p>
<p>きょうもマリアさんは、オアハカのキラキラとした陽射しのもとで、春や花のことを思いながら、鳥やハチや小花を描いているのだろうなと思うと、こちらのほうもほんわりとしたやさしい気分になる。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>太さ世界一の巨木 トゥーレの木</title>
		<link>https://www.labrava.jp/mexico-note/0004-tule-tree-oaxaca/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 15 Aug 2007 08:18:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>Santa Maria del Tule, Oaxaca, Mexico, 2007 &#160; オアハカ市から西に10km、バスで10分弱のところにあるサンタ・マリア・デル・トゥーレ村の巨木。アウェウェテ（日本ではラ [...]</p>
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]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 75%;">Santa Maria del Tule, Oaxaca, Mexico, 2007</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>オアハカ市から西に10km、バスで10分弱のところにあるサンタ・マリア・デル・トゥーレ村の巨木。アウェウェテ（日本ではラクウショウ、またはヌマスギ）の巨木で、太さは世界一といわれている。円周58メートル、高さ42メートル。オアハカの数ある観光地のひとつとしても有名な木で、モンテアルバンやミトラといった遺跡の名所にも引けをとらない驚きを与えてくれる、まったく堂々とした佇まいだ。ゆるりと周りを歩いてみると、樹齢2000年とも3000年ともいわれる長い長い年月を形作ったかのような、幹の不思議な造形に目をうばわれる。怖いような美しいような、とらえどころのないかたち。なにか棲んでいそうだ。妖怪や神様のたぐいを思い浮かべたのだが、実際に棲んでいたのは小鳥たち。これだけ大きいと、相当な数の鳥が棲めるにちがいない。楽しげに遊ぶ小鳥たちとは対照的に、人間は巨木の周りをぐるりと囲んだ柵のなかに入ることができない。巨木のあちらこちらから涼しげで得意げな鳴き声が聞こえてくる。</p>
<p>ところで、日本でいちばん有名な木といえば、屋久島の縄文杉だ。「縄文杉」の名のとおり以前は樹齢7200年、ともいわれたが、ほんとうのところはわからないらしい。ただ、数ある推測樹齢のなかから2000年～3000年という説を信じれば、トゥーレの木と同年代ということになる。大きさは円周16メートル余り、高さ25メートル余りとトゥーレの木にはとうてい及ばないが、ゆったりとそびえる姿、険しい幹など巨木の貫禄は申し分ない、だろうと写真を見て思う。写真だけでは今ひとつわからない、こうなったら、ぜひ実物の縄文杉を見てトゥーレで味わったような巨樹の醸し出す神聖な空気を体感してみたいものだ、と考えたが、こちらはぷらっとバスで乗りつけるわけにはいかない。屋久島に行き、さらに九州最高峰1936メートルの宮之浦岳の1300メートル付近まで片道４～６時間もかけて登山しなければたどり着けないそうだ。とてもがんばれそうにない。となれば、日本の古木はあきらめて、またオアハカ市からバスに乗って、トゥーレの巨木の厳かさを、小鳥を羨みながら遠まきに味わうことにしよう。</p>
<p>投稿 <a href="https://www.labrava.jp/mexico-note/0004-tule-tree-oaxaca/">太さ世界一の巨木 トゥーレの木</a> は <a href="https://www.labrava.jp">LABRAVA [メキシコ 民芸 フォークアート 雑貨]</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>プレペチャ族のおばあちゃん</title>
		<link>https://www.labrava.jp/mexico-note/0003-purepecha-michoacan/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 01 Aug 2007 08:04:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>Patzcuaro, Michoacan, Mexico, 2001 &#160; メキシコ中西部ミチョアカン州には約20万人の先住民プレペチャ族が暮らしている。この地を征服したスペイン人たちがタラスコ族と名付けたため、 [...]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 75%;">Patzcuaro, Michoacan, Mexico, 2001</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>メキシコ中西部ミチョアカン州には約20万人の先住民プレペチャ族が暮らしている。この地を征服したスペイン人たちがタラスコ族と名付けたため、一時期はタラスコ族と呼ばれることもあったが、現在ではもともとの名称であるプレペチャ族と呼ばれることが普通だ。しかし呼び名がどうあれ、彼らがスペイン人がやってくるよりずっとずっと昔からここに住む民族であることにかわりない。クアナーホ村のフアニータ・ローサス・ノラスコさんもプレペチャの人。着ているものはずいぶんと違うけれど、おだやかな表情は日本の田舎のおばあちゃん、という風情だ。カメラを向けるとちょっぴりはにかむしぐさも、この年頃の日本の女性を思わせ、親近感がわく。ふと、プレペチャの言葉は日本語と響きがよく似ているね、とどちらの言葉も解さないアメリカ人に言われたことも思い出し、プレペチャの人々がさらに近しい存在に感じられる。</p>
<p>さて、フアニータさんはまだまだ現役で、伝統的な織物や民族衣装をつくり続けている。つくったものを見ていると、あまりの美しさになんとか手に入れたくなる。と、親近感も度が過ぎて自分のおばあちゃんに甘えるように、ずうずうしくもフアニータさんが自分用に刺した美しい刺繍のブラウスを、無理をいって譲ってもらった。</p>
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		<title>絣のショールの町 サンタ マリア デル リオ</title>
		<link>https://www.labrava.jp/mexico-note/0002-santa-maria-del-rio/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 16 Jul 2007 07:50:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>Santa Maria del Rio, San Luis Potosi, Mexico, 2007 &#160; サン ルイス ポトシー州の州都サン ルイス ポトシー市からバスで１時間ほどの町、サンタ マリア デル リ [...]</p>
<p>投稿 <a href="https://www.labrava.jp/mexico-note/0002-santa-maria-del-rio/">絣のショールの町 サンタ マリア デル リオ</a> は <a href="https://www.labrava.jp">LABRAVA [メキシコ 民芸 フォークアート 雑貨]</a> に最初に表示されました。</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 75%;">Santa Maria del Rio, San Luis Potosi, Mexico, 2007</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>サン ルイス ポトシー州の州都サン ルイス ポトシー市からバスで１時間ほどの町、サンタ マリア デル リオ。ふつうバスターミナルといえば、チケット売場や待合室、軽食や清涼飲料の売店、ホーム、バスの待機する駐車場、そしてそれらを含む建物がある、というイメージだ。ところが、サンタ マリア デル リオのバスターミナルはここ。青空ターミナルである。広場の木に時刻表などの書類が据えつけられ、バスをしきる係のふたりがこの木の周りでチケットを売ったり、バスの発着をチェックしたり。いわば、この木がオフィスなのだ。ちょっと驚いたが、この青空ターミナルもなかなかいい。広場の人々やまわりの店を眺めながら、植栽の柵のふちに腰かけてバスを待つのだから心も弛緩してしまい、バスが来ない、といらつく気持ちも長続きせずすぐにおさまる。炎天下なれば暑いけれど、のどがかわけば、ちょうどいい具合に目の前でフルーツを売っている自転車屋台でココナッツ水を飲めばいい。</p>
<p>いかにも都会ではありません然としたこの町は、美しい手織りのショールで知られ、「サンタ マリア デル リオ産のショール」が一種のブランドとして通用するほど。なかでも絣のショール、それもシルクで織られたものが有名だ。細い糸から大きな布を織りあげるのだから、１枚のショールができあがるまでには相当な時間がかかる。絣のショールともなると、丹念に糸を束ねて染める工程も含め、すべてできあがるまでには１か月ほどかかるそう。だから、手をかけ時間をかけてできあがった絣のショールは、もちろん高価ではあるけれど、ほんとうに美しい。</p>
<p>日差しは相当に強烈だけれど、青空バスターミナルも、織り機の音がトントンと響くショールの工房も、サンタ マリア デル リオではどこもかしこも時間がゆったりと流れている。ショールのするりとしたやわらかい肌触りときりっとした色合いに、この町の様子がうかがえる。</p>
<p>投稿 <a href="https://www.labrava.jp/mexico-note/0002-santa-maria-del-rio/">絣のショールの町 サンタ マリア デル リオ</a> は <a href="https://www.labrava.jp">LABRAVA [メキシコ 民芸 フォークアート 雑貨]</a> に最初に表示されました。</p>
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		<title>オアハカン ウッド カーヴィング第三の村 ラ ウニオン テハラパン</title>
		<link>https://www.labrava.jp/mexico-note/0001-la-union-tejalapam-oaxaca/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[LABRAVA]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 01 Jul 2007 07:04:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[メキシコノート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p>La Union Tejalapam, Oaxaca, Mexico, 2007 &#160; オアハカ州の州都オアハカ市からバスで１時間も行くと、ラ・ウニオン・テハラパン村に着く。ここはオアハカン ウッド カーヴィング [...]</p>
<p>投稿 <a href="https://www.labrava.jp/mexico-note/0001-la-union-tejalapam-oaxaca/">オアハカン ウッド カーヴィング第三の村 ラ ウニオン テハラパン</a> は <a href="https://www.labrava.jp">LABRAVA [メキシコ 民芸 フォークアート 雑貨]</a> に最初に表示されました。</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 75%;">La Union Tejalapam, Oaxaca, Mexico, 2007</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>オアハカ州の州都オアハカ市からバスで１時間も行くと、ラ・ウニオン・テハラパン村に着く。ここはオアハカン ウッド カーヴィングの産地のひとつとして知られ，村で最初に木彫りをつくりはじめたマルティン・サンティアーゴをはじめ、ガビーノ・レジェス、セルヒオ・サントスなどの作家が暮らしている。バスを降りると、自然を満喫できる清々しい気分になるが、途方にも暮れる。なにしろ民家はほとんど見えないし、バスが通る一本道以外に道らしきものは見当たらない。でも、山があって畑があって、のんびりとした牧歌的な周囲のゆったりしたリズムに身をゆだねてしまえば、なんとかなりそうだ。干上がった小川を歩けば畑に出る。畑の端を歩いていけば民家があって人がいる。人に尋ねれば、行きたいところに行けるから。</p>
<p>こののんびりとした空気は、マルティン・サンティアーゴのつくる素朴な動物が生まれるにはぴったりである。畑の横や民家の傍らには必ず牛やにわとり、やぎなどの家畜がいる。暮らしのなかに題材がある。彼のつくる作品は、素朴で荒削りなかたちでありながら、動物の特徴をきちんとおさえていたりする。ああ、なるほど、目の前にいるからか、と納得する。ただ、村の野犬は、マルティンさんのつくる愛らしい犬とは似ても似つかない。群れると凶暴で、村人もひとりでは野犬の群には近づかないように気をつけるらしい。</p>
<p>投稿 <a href="https://www.labrava.jp/mexico-note/0001-la-union-tejalapam-oaxaca/">オアハカン ウッド カーヴィング第三の村 ラ ウニオン テハラパン</a> は <a href="https://www.labrava.jp">LABRAVA [メキシコ 民芸 フォークアート 雑貨]</a> に最初に表示されました。</p>
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