LABRAVA

メキシコノート 0054

アレブリヘのはじまり リナーレス ファミリー

アレブリヘ ミゲル リナーレス
Mexico D.F., Mexico, 2011

有名なメキシカン フォーク アートのひとつにアレブリヘ alebrije(複数ではアレブリヘス alebrijes)というものがある。張り子細工でつくられる極彩色の奇妙な怪獣のことで、ドラゴンみたいな長い胴体のアレブリヘや、丸い体に短い手足の付いたアレブリヘ、高さが5メートルもある巨大アレブリヘや、20センチほどの小型アレブリヘ、大きな角と長い牙のアレブリヘや、全身がトゲだらけで巨大な羽を持ったアレブリヘ、緑色のウロコに覆われたアレブリヘや、青い縞模様のアレブリヘなどなど、作家のイマジネーションから生まれてくるアレブリヘは一体一体違ったスタイルと色をしていて、同じものはふたつとない。

このアレブリヘを生み出したのは、ピニャータ(中にお菓子や果物を仕込んでパーティーの余興に割って遊ぶもの)やフーダス(イースターに燃やすユダの人形)の製作を生業としていたメキシコシティの張り子職人、ペドロ リナーレス(1906年生まれ)。ペドロがいなければ、アレブリヘという言葉すら存在しなかった。しかもペドロが病気にならなければアレブリヘは生まれなかった。アレブリヘ誕生の話はこんなふう。

ペドロが30歳の時のこと。医者も手の施しようがないほどの重い病を患い、昏睡状態に陥った。そのときペドロは、どこか不思議な場所を歩いている夢を見ていたという。木があって岩があって動物たちがいる森みたいなところ、とても穏やかで居心地のいいところだったらしい。ところが突然、岩や雲や動物たちが、羽を持ったロバや牛の角が生えたニワトリなどの奇妙な生き物に変身した。そしてその奇妙な生き物たちは、こう叫んでいた。「アレブリヘス」。叫び声はどんどん大きくなる。「アレブリヘス! アレブリヘス!! アレブリヘス!!!」。

不思議な夢のなかの道を歩き続けるペドロ。するとひとりの男と出会う。男はいう。「君はこんなところにいちゃだめだ。この道をもっと先へ進みなさい、数メートル先に出口があるから」。ペドロは走った。走って走って、体がようやくすり抜けられる程度の細い窓にたどり着いた。そしてペドロは現実の世界で覚醒したのだった。驚いたのは彼の家族。ペドロは死んでしまったものとあきらめていたのだから。

病気から回復したペドロは、夢のなかで見た奇妙な生き物を張り子で作りはじめた。で、この奇妙な生き物を、夢のなかの叫び声から「アレブリへ」と呼んだ。これがアレブリヘのはじまり。アレブリヘという名称はもともとスペイン語やメキシコ先住民の言葉にあったものではなく、その名も存在もペドロの夢と指先から創造されたものなのだ。

これは1930年代のことである。いくら「シュルレアルな国」メキシコとはいえ、アレブリヘはエクストリームすぎたのではと思うのだが、これが人々に受け入れられた。真偽はわからないが、メキシコに滞在していたアンドレ ブルトンも、ペドロの作品をフランスに持ち帰ったとか。やがて、アレブリヘはメキシカン フォーク アートのひとつのジャンルとして定着するほどポピュラーな存在になった。いまではメキシコ各地にアレブリヘをつくる張り子職人がいる。それにアレブリヘという単語が辞書に載るまでになったのである。

ところが現在、このアレブリヘとは違うもうひとつの「アレブリヘ」が存在するからややこしい。オアハカ州でつくられる木彫り、オアハカン ウッド カーヴィングが「アレブリヘ」と呼ばれることもあるからだ。

なぜ、オアハカン ウッド カーヴィングが「アレブリヘ」とも呼ばれるのか。1980年代後半、オアハカの木彫り職人が、ペドロ リナーレスのアレブリヘを参考にして、奇抜な形と色彩の怪獣を張り子ではなく木彫りでつくるようになったことがはじまり。もともとは動物や聖人像などがメインのモチーフとして作られていたオアハカン ウッド カーヴィングだが、奇抜な怪獣「アレブリヘ」もモチーフのひとつとして定着していった。ところが単なるモチーフの一名称である「アレブリヘ」が、徐々にオアハカン ウッド カーヴィング全体を表す名称として使われるようになってしまったのである。オアハカで作られる木彫りは、ネコだろうがアルマジロだろうがカエルだろうがガイコツだろうが天使だろうが十字架だろうが全部「アレブリヘ」というわけだ。妙なことに。

ペドロ リナーレスがアレブリヘを生みだした経緯を考えれば、オアハカン ウッド カーヴィングを「アレブリヘ」と呼ぶのはいかにも的外れのように感じられる。とはいえこの名称も定着してしまって、いまさらもとには戻りそうにない。せめて、ペドロがアレブリヘを創造したこと、オアハカン ウッド カーヴィングのモチーフのひとつとして「アレブリヘ」がつくられるようになったこと、そしてオアハカン ウッド カーヴィング全体を表す名称としても使われるようになっていったこと、そんなことを知っていてほしい、とは思う。リナーレス ファミリーのためにも。

アレブリヘの本家本元ペドロ リナーレスは、1990年にメキシコ国民栄誉賞を受賞する。いわば人間国宝のような存在として認められたわけだが、彼の功績やメキシカン フォーク アート界随一の知名度を考えたら、この受賞はちょっと遅かった。そして、その2年後の1992年にペドロは86歳で死去。もう彼の作品は手に入らない。とはいえ、ペドロの作品は世界各地のミュージアムに所蔵されているので、見るチャンスがないわけではない。それに、子供のころから張り子製作を手伝ってきた彼の3人の息子、エンリケ(1933年生まれ)、フェリーペ(1936年生まれ)、ミゲル(1946年生まれ)、そして孫たちが現在もアレブリヘを作り続けている。

ペドロ リナーレスの末息子、ミゲル リナーレスの工房。雑然とした雰囲気の通りに面した自宅の3階部分が工房になっている。階段を上り、たどり着いたそこは、まだ彩色されていないアレブリヘやらガイコツやらが天井といわずソファといわず、また壁といわず、そこらじゅうにぶら下がりたてかけられ、その間を身軽に数匹の猫が行き来している。ペドロが夢のなかで歩いた不思議な場所っぽくはないか、と思うのは恣意に過ぎるけれど、ちょっとワクワクする楽しい空間だ。

「父のところには、有名人がたくさんやって来た。ディエゴ・リベラも。ディエゴとフリーダ カーロの家には、父がつくったフーダスも飾ってあるよ」
「猫は最初は1匹しか飼っていなかったんだ。野良猫だったその子に餌をやっていたらすみついて。そんな調子で少しずつ増えて、今では6匹。作業台の上で寝たり食べたりしている」
「今や、オアハカン ウッド カーヴィングを『アレブリヘ』って呼ぶのもすっかり定着しちゃったね。でも、木彫りのネコはただのネコ、アルマジロはただのアルマジロ。アレブリヘじゃないよ。しかも最近はオアハカの『アレブリヘ』が有名になっちゃったから、オリジナルのアレブリヘがどんなものか知らない人も多くなってきた。おれたちのアレブリヘを見て『これもアレブリヘって言うんですね』ってびっくりする人もいるんだよ。まいったね」

ペドロ リナーレスが創りだしたのはアレブリヘだけじゃない。頰骨のはったユニークなガイコツも、アレブリヘ同様有名で、リナーレス ファミリー作を騙る偽物やコピー作品がつくられるほど。鳥やら花やらで華やかに彩られた、のんきで楽しげなガイコツ。ミゲルにこのガイコツをふたつオーダーしたら、出来上がったのはなんと注文してから1年余りのち。つくり手のほうもなんとものんびりしたものである。

痛い腰をかばい、脚を軽く引きずって工房を案内してくれるミゲル。工房の一画には張り子でつくられた父ペドロがいる。それもガイコツになったペドロだ。青いキャップをかぶって、アレブリヘを彩色している張り子のガイコツ ペドロ。ガイコツ ペドロに見守られながら、穏やかに猫を愛でミゲルは微笑む。張り子製作は、彼にとってはごく当たり前の日常、子供の頃から親しんできた仕事で、特別な気負いはちっとも感じられない。けれどミゲルもまた、アレブリへやガイコツを創りだすことでメキシカン フォーク アートの伝統を守る重要な古老のひとりである。