LABRAVA

メキシコノート 0016

長距離バス

Mexico D.F., Mexico, 2009

メキシコで長距離の移動といえば一般的にバスである。各都市には大きなバスターミナルがあり、ずらりと並ぶ各バス会社のカウンターと大きな待合室 軽食コーナー、売店、有料トイレなどが揃っている。それから必ずグァダルーペの聖母の祭壇があり、旅の安全を守ってくれている。たいがいのバスターミナルは、鉄とコンクリートとガラスのモダンな建築なのだけれど、利用するのは市井の人々で必ずしもそのモダンな雰囲気にぴたりと合っているわけではない。でも、そのミスマッチな感じがよろしい。どかりとベンチに座り、きれいとはいえないダンボール箱をはじめ数々の大荷物を山のように積みあげている人、夜行バスに備えて枕を抱きしめてパジャマに近い格好をしている人、それでも堂々としている人々があちらにもこちらにも。首都メキシコシティのバスターミナルともなると、あらゆる地方の人々が集まる。オアハカ州海岸地方の有名な民族衣装、貝紫で染めた鮮やかな紫色のスカートをまとう人を見かけたときには、まさに多彩な人々がバスターミナルを彩っていると思ったものだ。バスターミナルがそうなら、長距離バスの雰囲気もそれぞれである。それが2等であろうと1等であろうと、路線や所要時間によってそのバス固有の空気が流れている。

南部のチアパス州サン・クリストバス・デ・ラス・カサスからメキシコシティへ向かう長距離バス。現在では13時間ほどのこの路線、かつての所要時間は約20時間。ほぼ1日をバスで過ごす。いくらバスが大きいとはいえ、見知らぬ同士が1日を過ごすにはあまりに狭い世界だ。いきおい同乗者の様子や動向が気になる。あるとき、グァテマラからやってきたらしい集団が同乗していたことがある。道中何度かおこなわれる軍と警察の検問、いつもは明らかに外国人だとわかる東洋人にチェックが集中するのだが、そのときばかりはその集団が標的だった。検問のたびに全員必ずバスから降ろされ、そのうちのふたりほどは検問所に残されたままバスが走り去った。車中で仲よさそうに、けれど静かにこそこそと過ごしていた、なぜか女装の男性を含むその集団は、メキシコシティに入ったころ、バスターミナルに着く前に、ひとり、ふたり、とばらばらに荷物も持たず途中下車していった。貧しい暮らしから抜けだそうと不法に国境を越えて、なんとかメキシコシティにやってきて働こうというのだろうか、と勝手な物語を考えた。

太平洋岸沿いを北へ、国境の町ティファナに向かうバスには、また違った物語がある。ナヤリー州テピックから途中乗車したメキシコシティ発のその1等バス。午後とはいえまだ陽も高いころに乗ったにもかかわらず、暗くてどんよりとした雰囲気と疲れた空気にぎょっとした。乗客は極端に少なく、憑かれたように咳をする人、きっちり5分間隔で痰を床に吐く人、通路側の固い肘掛けをなんとかひねって枕にして寝ている人など、覇気のない人ばかり。2日間くらいバスに乗りっぱなし、という様相だ。それにみんなひとり旅で、連れだつ人もなく話し声も聞こえない。追い打ちをかけるように、車内のテレビには「国境を不法に越えるのは危険です。やめましょう」というビデオが、何度も流されている。ひきつったような咳やつらそうないびきを聞きながら、この人たちはいろいろな事情をかかえて、南から長距離バスを乗り継いでようやくここまでやってきた、これからもっと北を目指して、ついには危険を承知で不法にアメリカへ入ろうとしているんだ、と想像した。と思うと、運転手が盛り上がっているカーステレオから流れるビリー・ジョエルの「アップタウン・ガール」が妙に空々しくて、彼らのアメリカでの行く末をより不安にさせる。日が暮れたころシーフードで有名な海岸の町マサトランで下車したが、ほかの乗客は相変わらずの疲れた様子でこのバスに乗ったまま。想像したストーリーもあながちまちがっていないかも、と思わせる重たい雰囲気に見送られた。

近ごろは、路線によってはバスより安いこともある格安航空会社による国内線がたくさん就航している。こうなると移動手段は超長距離バスのひとり勝ちとはいかなくなったのだけれど、便利とはいえ味気ない飛行機に比べて、時間がかかってもバスの旅はやっぱり味わい深い。窓外の景色を満喫できるというのも魅力だけれど、人間模様を観察できるのも長距離バスならではだ。