LABRAVA

メキシコノート 0012

『ラムの大通り』のグラン・ホテル

グラン ホテルのステンドグラス
Mexico D.F., Mexico, 2009

メキシコシティの中央広場ソカロに面したグラン・ホテル Gran Hotel Ciudad de Mexico。エントランスは小さくて、ちょっとおしゃべりなどしていたら通り過ごしてしまいそうなところだけれど、ひとたび足を踏み入れて豪華なシャンデリアのもと、階段を十数段のぼれば、そのエントランスの小ぢんまりさからは想像もできないゴージャスなロビーに一瞬息をのんでしまう。ロビーは中庭のような吹き抜けの空間で、それを囲むように客室が配置されている。鉄製の大きな鳥かごには色とりどりの鳥がさえずり、やはり鉄製のクラシカルなエレベーターが、お飾りかと思いきやちゃんと動いている。そして圧巻は、吹き抜けを覆うはるか上方の巨大なティファニー製ステンドグラスの天井である。エミール・ガレと並ぶナンシー派のガラス作家ジャック・グリュベールによって1908年につくられたものだ。このエレベーターや各階の回廊の意匠、ステンドグラスの天井などは、メキシコで初めてのアール・ヌーヴォー装飾らしい。ロビーの真ん中に立って、ぐるっと見渡すとその豪華なたたずまいにため息が出る。

と、ため息の理由は意匠のせいばかりではない。ロベール・アンリコ監督『ラムの大通り』の、グラン・ホテルで撮影されたシーンを思い出すからだ。ロベール・アンリコといえば青春映画の傑作とされている『冒険者たち』。だが、全編に漂う幸福感と余韻の心地よさでは『ラムの大通り』がいい。主演はリノ・ヴァンチュラとブリジット・バルドー。リノ・ヴァンチュラは『ベラクルスの男』、ブリジット・バルドーは『ビバ!マリア』、となんとなくメキシコと縁のあるふたりである。禁酒法時代、カリブ海の国々からアメリカにラム酒などを運ぶ密輸船の船長コルネリュウスの冒険と、サイレント映画のスター女優リンダ・ラリューとのロマンスでストーリーは展開する。そんなストーリー上、やたらと酒を飲むシーンが多いのもなかなかよろしい。メキシコやジャマイカ、ハイチ、パナマなどが舞台なのだが、リノ・ヴァンチュラが滞在するキューバのホテルという設定で、グラン・ホテルのシーンが登場する。仕組まれた手紙を真に受けて怒り狂ったブリジット・バルドーがエントランスのシャンデリアをバックにしてロビーに入ってくる。そして、リノ・ヴァンチュラに向けて10発ほども拳銃を撃ち、弾をかわしたリノ・ヴァンチュラが、暴れるブリジット・バルドーを肩にかつぎあげてエレベーターに乗り込む場面へと続く。のぼっていくエレベーターをカメラが追っていき、エレベーターをこえてグラン・ホテルの象徴的な天井のステンドグラスでこのシーンは終わる。禁酒法の時代にはもうアール・ヌーヴォーのブームも下火になっていたようだが、グラン・ホテルの装飾的なアール・ヌーヴォーの意匠がこの映画には実にぴったりだ。このふたりの豪華なやりとりを、フランソワ・ド・ルーベのなんとなく悲し懐かしいような甘酸っぱい音楽とともに思い出しながら、映画と同じようにエレベーターをだんだんに見上げて、天井のステンドグラスで視線をとめてみた。

グラン・ホテルといえば、最上階にカフェがあり、ここのテラスからの眺めがすばらしい。さんざんロビーで天井を見上げたあとは、国の中心であるソカロの真ん中にはためく巨大なメキシコ国旗を、集まる人々を、まるでグラウンドのトラックをまわって競走しているかのようにソカロを回るワーゲンのカブトムシ・タクシーの黄色と緑の渦巻きを見下ろし、国立宮殿や大聖堂カテドラルを眺める。以前は、テラスが狭いうえに、空中に張り出した床がなんだか外側に傾いていて、はらはらどきどきしながらの休息だったが、現在では改装されてもう傾いていないようだ。これなら足元に不安がないぶん、ソカロはもっとすばらしく見えるかもしれないと思いつつも、ついつい腰がひけてなるべく真下は見ないように体をこわばらせたあの心持ちが懐かしいような気もする。