LABRAVA

メキシコノート 0011

サン・フェリーペ・デ・ロス・エレーロス村の手づくりトルティージャ

San Felipe de Los Herreros, Michoacan, Mexico, 2001

ミチョアカン州サン・フェリーペ・デ・ロス・エレーロス村の女性は、メキシコの民族衣装のなかでも数少ない白一色の清楚な印象のブラウスを着る。白一色とはいっても胸元や袖などに細かなドロンワークを施し、袖口には飾りひもがついていたりするので、シンプルというより華やかな美しさだ。このドロンワークはほんとうに手がこんでいる。ブラウス一着つくるのに15~20日かかるそうだが、この日々のほとんどはドロンワークに費やされているのではないだろうか。残念ながら、現在では祭りのときなどの特別な日だけしか着られなくなってしまったようだ。

サン・フェリーペ・デ・ロス・エレーロス村には、いちばん近い大きな街ウルアパンからバスに乗り、乗合タクシーを2回乗り継ぎ、途中何回か止まって牛の群れの横断を待ったりしながら、やっとのことで到着する。村の中心部にほど近いコンセプシオーンさんのお宅で美しい民族衣装のドロンワークに感嘆しつつ買い付けをすませて丈の直しなどをお願いしていると、お昼どきになった。と、こちらの腹具合を察してか、コンセプシオーンさんがお昼を食べていきなさい、と誘ってくれた。心のなかで小踊りしながら土間の台所に移り、家の子どもと一緒にかまどの前に座る。水をコップにもらい、卵と米とチーズをこねて揚げたコロッケのようなものが入ったトマトとトウガラシのスープを膝の上にのせて待っていると、ふたりがかりでトルティージャをつくってくれた。トウモロコシの生地をメターテという分厚い石板と棒でこねて丸めて、パンパンとてのひらで丸くのばして焼く。薪をくべたかまどにすえつけられたコマールという素焼きの大きなお皿にのせ、プクッとふくらむまで何回もひっくり返しながら焼いていく。その無駄のない手際のよい動き、ふたりの阿吽の呼吸にすっかり目がくぎづけになった。昔ながらの、連綿と受け継がれてきたこのトルティージャを焼く姿を見ていると、自分がいったいいつの時代にいるのかがわからなくなってくる。なかば放心したように見つめていると、焼き上がったトルティージャを手渡してくれた。完全なる手づくりのあつあつトルティージャで、モチモチとしたほどよいやわらかさ、しっかりとしたトウモロコシの味、焦げ目の香ばしさ、それらがまじって得も言われぬおいしさである。かまどから煙が立ちのぼって煙いのだけれど、それもちっとも気にならない。煙で目がしょぼしょぼしたのか、あまりのおいしさに泣けたのか、涙が流れた。

トルティージャはメキシコの主食で、トウモロコシの粉に水と石灰を加えてこねた生地を、丸く平らにして焼いたものである。大きさはいろいろだけれど、直径20センチくらいが一般的だろうか。これをごはんやパンのようにいろいろな料理といっしょに食べる。肉などの具を入れて巻けばタコスになるし、小さく切って揚げればチップスとしても食べられる。スープに入れて煮込んでもいい。とにかくいろいろな食べ方ができるけれど、どうやって食べてもおいしい。昔はコンセプシオーンさんのようにみんな家でこしらえていたのだが、手づくりは手間がかかるので、大概の家では今は買ってきたできあいのトルティージャをあたためて食べる。街には機械でクレープ状のトルティージャをどんどんつくってはかり売りしているトルティージャ屋があり、スーパーには大手の食品会社がつくった袋づめのトルティージャが並んでいる。とはいっても、家で一からつくることもあるし、手づくりトルティージャを売りにしているレストランやタコス屋もある。けれど、生地を成形するにはトルティージャ用のプレス機を使うことが多く、焼くのも鉄板にガスである。ゆえに完全なる手づくりの、それも昔ながらのかまどとコマールで焼いてもらった焼きたてトルティージャを食べる、というのはとても贅沢なことなのである。

お宅を辞するとき、民族衣装の美しさを滔々と賛美したせいか「6月24日のサン・ファンのお祭りにはみんな民族衣装を着るから、その時期にもぜひいらっしゃい」とコンセプシオーンさん。ところが、あの純白のブラウスがずらりと並ぶ美しい光景を想像し、ぜひ見てみたいとわくわくする気分のすき間から、来ればまた手づくりの焼きたてトルティージャを食べられるかも、との思いがちらちらと見えかくれ。