LABRAVA

メキシコノート 0057

ウィリアム・バロウズ メデジン37番地

ウィリアム バロウズ メキシコ
Mexico D.F., Mexico, 2009

多くのメキシコ人が法を犯す危険どころか身の危険も承知しながら、こんこんとアメリカへ北上してゆく。そしてメキシコの麻薬組織が扱うコカインも、どんどんと北へ向かう。それと逆流するかのように、アメリカ人は南へ南へと下ってメキシコへ逃げる。あらゆる小説や映画で、国境の南、つまりメキシコへ逃げてくるのだ。現実では避寒に旅、それにバカンス、そんなところだろうけれど、それだって日常からやはり逃げているといえなくもない。1949年、ウィリアム・バロウズもメキシコに逃げた。が、それはバカンスでも旅でもなく、警察から逃れるため。そして、ここメキシコシティのメデジン通り37番地に住まう。

バロウズは、妻のジョーンに子ども二人とここで暮らしたのだが、いったい何をしていたのだろう。きっと、酒と麻薬以外に興味はなかった。一応、近所のサン ルイス ポトシー通り154番地にあったメキシコ シティ カレッジにも席を置いていたらしいが。バロウズがたむろしていたモンテレイ通り122番地にあるバー「バウンティ」の常連や、この建物で起きたジョーン射殺事件の関係者は、ほとんどがこのメキシコ シティ カレッジの学生と元学生。このジョーンを撃ち殺した事件のあと、しばらくはメキシコシティに留まっていたバロウズも、結局はこの国を去り、タンジールへ行ってしまう。まるで事件から逃れるかのよう。逃げてきたはずのメキシコから逃げるはめになるとは。

とても落ち着いた雰囲気の路地に面したこのアパートは、あまりに清楚な佇まいで、部屋のなかで繰り広げられたであろう当時のバロウズ家の喧噪はとても想像できない。映画『バロウズの妻』は実際にこのアパートで撮影されているので、映画を観れば少しは想像の助けになるかもしれない。と言っているそばから、それは無理、と思ったりもする。キーファー・サザーランド演ずるバロウズは、あまりに健康的。外見を似せても、どうしてもちぐはぐに感じられるから。

映画はともかく、ジャック・ケルアックもニール・キャサディも訪れたこのアパート。バロウズがメキシコを去ったあとの1961年にケルアックはここに滞在して、「セラーダ・メデリン(メデジン)・ブルース」を書いたりした。そのケルアックもとうの昔に亡く、何度もメキシコとアメリカを行ったり来たりしていたキャサディも、定年アメリカ人移住のメッカ、麗しのメキシコ・グアナファト州サン・ミゲル・デ・アジェンデで不慮の死を遂げ、当のバロウズももういない。そしてメデジン通り37番地も、今はホセ・アルバラード通り37番地と通りの名前が変わってしまって……。