LABRAVA

メキシコノート 0045

フアン・ルルフォ公園

メキシコシティのフアン・ルルフォ公園(庭園)
Mexico D.F., Mexico, 2009

フアン・ルルフォはラテンアメリカでもっとも重要な作家のひとりである。けれど出版したのは、短編集『燃える平原(水声社)』と長編『ペドロ・パラモ』(岩波文庫)の2冊だけ。清いほどに寡作である。ルルフォは、ガルシア=マルケスにも大きな影響を与えたそうで、あの『百年の孤独』も『ペドロ・パラモ』がなければ生まれなかったかもしれないとか。つけくわえれば、同名のプレミアム焼酎もあのネーミングあってこそ、という感もある。

そのフアン・ルルフォの名を冠した公園がメキシコシティにある。ところが、ファン・ルルフォの評価とはかけはなれた、ちょっと広い中央分離帯かと思うほどのスペースである。散策できるような広さはなく、拍子抜けするほど小さい。それとわかるのは、フアン・ルルフォの頭像と、小さな案内板だけ。1985年のメキシコ大地震のあとにつくられた公園で、それにルルフォの名がつけられたらしい。

公園の一段低くなったところに、コンクリートでつくられた小さな池がある。近寄るとなんだか異臭が漂ってくる。それに憩う人もいない、この公園には。ただひとり、別れ話のクライマックスだろうか、泣きながら携帯電話で話している女の子がいるだけである。『ペドロ・パラモ』のフアン・プレシアドが父をさがしにいった死者たちの町の空気もこんなふうか、などと思いたいところだけれど、どうがんばってみても魔術的リアリズムなどは微塵も感じられず、しみったれたリアルな現実があるだけだ。

優れた写真家でもあったフアン・ルルフォ、写真集のひとつに『JUAN RULFO'S MEXICO』(Smithsonian Books)がある。古き良き時代のメキシコを、先住民の姿を、広い大地を、静かな風景を誠実な視線でとらえている。インスルヘンテス通りとアルバロ・オブレゴン通り、大きなふたつの通りに挟まれた三角地帯にある小さな公園で、無遠慮に車が轟音を響かせるなか、ルルフォ的な感傷にひたるのは無茶だったのだ。この写真集を見ているほうがいいんだ、ファン・ルルフォの世界を見たいなら。と、気づく。