LABRAVA

メキシコノート 0035

マンゴー

San Martin Tilcajete, Oaxaca, Mexico, 2007

フレッシュさがいいとか溌剌とした若さが清々しい、などと認めるのは、わが身を振り返ると何ともいえずしみじみと応えるのだけれど、やはり果物はとれたてがなによりである。たとえば、マンゴー。近ごろは、宮崎産の完熟マンゴーなど国内産のものも注目を集め、また輸入量も多くなって、値段はともかくバナナやリンゴと同じくらい容易に手に入るようになった。輸入元はタイやインド、フィリピン、それにメキシコ。マンゴーの原産地はインドからインドシナ半島周辺だといわれているそうだが、メキシコもマンゴーの生産国として有名なのである。日本に輸入されているメキシコ産のマンゴーはアーウィン種という種類で、アップルマンゴーともよばれている。その名前のとおり熟すとリンゴのように果皮が緑色から赤に変わっていく。ちなみに日本産のマンゴーもほとんどがこのアーウィン種なのだそうだ。しかし国籍がどこであれ、どのマンゴーもとろけるようなやわらかさと芳醇な香りがあり得ないほどにおいしい果物だ、と思っていた。ところがあるとき、メキシコで、庭の木になっていたというとれたてのマンゴーをいただいて、今までのマンゴーはなんであったのか、と思うほどの衝撃的なおいしさに出合った。食感は固く歯ごたえがある。かといってしゃきしゃきとしているわけでなく、それならば渋みがたって味わいがないのではないかというと、そんなことはなく口がぺたぺたになるほど甘い。ひとかけ食べて経験のないあまりのおいしさに、マンゴーとはすぐにはわからず「これはなに?」と聞いたくらい。「それだよ」と教えてもらった指の先には、もちろんとれたてのアップルマンゴーが並んでいたのだった。メキシコのフルーツ屋台では、カットしたマンゴーにチリパウダーをかけて売っていて、これもなかなかのおいしさなのだが、とれたてのマンゴーにチリはいらない、と思った。混じりけなしのフレッシュさを存分に味わいたいという欲求が勝るのだった。

思えば桃でも同じ経験がある。桃といえばするりと手で皮がむけるくらいにやわらかいのが、甘くておいしいと思っていた。触れば指のあとがつきそうなほどの繊細なやわらかさが、あの淡いピンクの色合いと重なって、はかなげなおいしさがうれしかった。ところが、大人になりとれたての桃を初めて食べたときのこと。とれたてもとれたてで、木からもぎとられてから2日と経っていない桃である。とれたての桃でなければほんとうの桃のおいしさはわからないと豪語する人間に、ほんとうに騙されていると思いつつ、包丁でしゃりしゃりと音をたてながら皮をむいた。これでは、とても甘さなど期待できない、と思ったのだが、しゃきんとかじった桃は甘くて気持ちいい食感で、あまりのおいしさにびっくりしたものだった。やわらかい桃ももちろん好きだけれど、やはりとれたてにはかなわない、と今は思う。

桃はともかく、日本ではとれたてのマンゴーを味わうことはなかなかできない。だから、スーパーで購入したメキシコのアップルマンゴーを食べる。想像どおりにやわらかい。でもおいしい。とれたての味とはまた別ものと思えば、これも文句なくおいしいのだ。時を経たおいしさと芳香を存分に堪能しながら、人間だって、と自分を励ました。