LABRAVA

メキシコノート 0029

クイラパンの開放型礼拝堂

Cuilapan, Oaxaca, Mexico, 2004

オアハカ州クイラパンには、屋根のない開放型礼拝堂がある。この不思議なカトリックの礼拝堂は、16世紀中頃、隣接の修道院とともにドミニコ会が建てたものだ。礼拝堂に屋根がないのは、建築が途中で中断してしまったからとの説もある。けれど、先住民をキリスト教に改宗させるにあたって、先住民が太陽を崇拝していたこと、屋外で儀式をおこなっていたことを考慮して、故意に屋根を設けなかったという説のほうが信じられそうだ。先住民の礼拝堂は屋根なしでよしとする差別なのか、それとも遮二無二改宗させようとするあまり屋根を省略して建ててしまったのかと考えていたのだけれど、そんなに無慈悲なことではなかったらしい。でも、いくら先住民の心情に配慮したところで、キリスト教に改宗することが幸せ、と考えること自体が大きなお世話なのだけれど。

開放型礼拝堂が先住民を改宗させる役にたったかどうかはともかく、通常は洞窟のように薄暗い礼拝堂とくらべ、ここは明るく健康的なところが楽しい。屋根がないのだから明るくて当然なのだが、明るいだけではない。真っ青な、どこまでもどこまでも続いている自然の天井が美しい。雨が降ったらどうなったのだろうなどと、野暮なことはこの際考えないでおく。

はたと、ミトラを思い出す。ミトラはクイラパンと同じオアハカ中央ヴァレーにある遺跡だ。そのミトラにある、柱だけが幾本も立っている屋根のない空間が、ここと似ているような気がしたのだった。それだけでなく、この開放型礼拝堂の真ん中に立ってみると、ミトラの柱の間に立ったときと同じような気分にもなった。なんとはなしに気持ちよく、そのせいで対象がどんな神であろうとその存在を信じられるような感じ。たしかにこれなら、初めてキリスト教に触れた先住民たちも、それまでの信仰との違和感を感じなかったかもしれない。とすれば、ドミニコ会の作戦は大成功ということか。しかし、この礼拝堂にはめ込まれた、ガイコツを含む絵文字が刻まれた石板からは、表向きは改宗したように見えて、そう思惑どおりにはいかせないという心情が感じられるようで、なんとなくうれしい気がした。