LABRAVA

メキシコノート 0028

イサク バスケスのラグ

メキシコ・サポテコ族のラグ染織家イサク バスケス(Isaac Vasquez Garcia)
Teotitlan del Valle, Oaxaca, Mexico 2009

メキシコの毛織物といえば、サラッペ sarape(英語ではserape)と呼ばれる男性用外套がよく知られている。とくにコアウィラ州サルティージョでつくられていたものがなんといっても有名で、その途方もなく複雑で美しいつづれ織りのサラッペは「サルティージョ スタイルのサラッペ」と呼ばれ、広大なメキシコ各地で模倣されるほど影響力をもっていた。

その影響は現在アメリカでつくられている織物にも及んでいる。例えば、「アメリカ インディアン」のナバホ族がつくるナバホ ラグに多く見られるダイヤモンド型のモチーフは明らかにサルティージョ サラッペに由来するものだ。また、もはや別物と思えるほど模様が簡略化されてしまっているけれど、ニューメキシコ州チマヨのオルテガ、センチネラといった織物工房ではその名も「サルティージョ saltillo」というデザインが織られている。その昔、サルティージョからファン バサーンとイグナシオ バサーンという職人兄弟がニューメキシコ州サンタフェに7年契約で派遣され、周辺地域の人々に織りの技術を教えたという記録も残っているそうで、そんなことも影響を残した証左といえるかもしれない。しかも今でこそ「アメリカ」だけれど、ニューメキシコ州、アリゾナ州、ユタ州、テキサス州、カリフォルニア州、ネバダ州や、コロラド州の約半分などは、1848年までメキシコの領地だったのだから、この辺りの織物がメキシコ的で、サルティージョ サラッペの影響を受けているのも当然といえば当然。メキシコのサラッペを織る技術を転用して、19世紀の終わりにアメリカ白人たちのためにラグを織るようになるナバホ族もかつては「メキシコ インディアン」だったのだから。

さて、今でもサルティージョをはじめメキシコ各地で毛織物はつくられているのだが、現在いちばん有名なのはオアハカ州のサポテコ族の村テオティトラン デル バジェ。ナバホ族同様、現在はサラッペではなく、おもにラグを織っている。これがサポテック ラグ(サポテコ族のラグ)と呼ばれるものだ。この村のイサク バスケスは、なかでも屈指の染織家である。織りの技術の高さはもちろんのことだけれど、なによりも天然染料をつかった伝統的な染色法を復興させたことで広く知られている。しかし、この昔ながらの染色法を復興させるのはかんたんなことではなく、ルフィーノ タマヨとフランシスコ トレドと知り合ったことが大きな助けになったそうだ。オアハカ州出身のサポテコ族の画家ふたりであるが、イサク バスケスとこのふたりをサポテコ族同士だから、という理由だけで結びつけるのはしっくりこない。むしろ、同時代の優れたアーティストたちは、フィールドを超えて支え合い刺激し合ったのだと考えたほうが合点がいく。タマヨはイサク バスケスにコチニールを教えた。一方、トレドは藍を教えた。赤のコチニール、青の藍、どちらも重要な染料だ。

ある日本の女性童画家のお宅にうかがったときのこと。たまたまメキシコのことに話が及ぶと、自分はタマヨの大ファンなのだという。実はタマヨの版画を幾点か持っていると。お宅のそこここに飾られているタマヨの作品を堪能し、ついには寝室まで入り込んでコレクションをすべて見せてもらった。そのタマヨの赤は、イサク バスケスの赤を思い出させた。