LABRAVA

メキシコノート 0022

中央広場

Oaxaca, Oaxaca, Mexico, 2009

メキシコの街や村には必ずといっていいほど中央広場がある。ソカロと呼ばれていたり、アルマス広場やイダルゴ広場といった名称がつけられていたりする。メキシコの数々の中央広場のなかでいちばん有名なのはメキシコシティのソカロで、広場ということばではまったく追いつかない5万平方メートルを超す巨大空間だ。中央に巨大なメキシコ国旗が掲揚されていて、この国旗の大きさといい周りの大聖堂カテドラルや国立宮殿などの国の中枢たる建物の威厳といい、ただただスケールの大きさに圧倒されるばかり。それとは対照的に、たいがいの中央広場はもっと身近な趣があり、緑も多く公園のような印象で、実際にも人々の憩いの場になっている。周りには、聖堂や教会堂、庁舎や商店、オープンカフェやレストランなどが建ち並び、広場のなかにはベンチや噴水があり、国旗掲揚台に高々と掲げられた国旗や東屋があったりする。そして、そんななかで靴磨きや新聞売りのスタンド、トウモロコシ売りやアイスクリーム売り、風船売りなどがのんびりと商っている。

オアハカ州オアハカ市のソカロにはドーム型屋根つきの東屋が真ん中にあり、その地下には売店とトイレが地上の東屋と同じように丸く円になって並んでいる。広場は掃除の人がドラム缶製のゴミ入れとほうきを持って掃除をしているので、とてもきれいだ。等間隔に設けられたベンチに座り、おなかが空いたら売店ではらごしらえ。メキシコ風サンドイッチ、トルタを食べれば立派な一食になる。オアハカのトルタは名物のストリングチーズのように裂けるチーズが挟んであるのがいい。さて、そして靴磨きに靴を磨いてもらいながら、新聞をゆっくり読むのもいい。日中は日陰のベンチで陽射しを避け、日陰が移動すれば、新たなる日陰のベンチに引っ越す。そんな具合に人々が大移動するので、日陰のベンチはいつも満杯。ちょっと出遅れると、強い陽射しに顔をしかめ、肌をじりじりと焼かれながらの過酷な休息となる。東屋にいつの間にか登場したマリンバ楽団を楽しむ。オープンカフェにもマリンバ楽団はやってくる。辺りが暗くなれば、さらに人出が多くなり、夜更けまでおしゃべりしたり音楽を楽しんだり。

しかし、目的なくのんびりと広場のベンチで過ごす人のなんと多いことか。なにもしない、なにも考えない。思えば、人はこんなふうに頭も体も休めるべきなのかもしれない。広場のベンチでは、その休息を堂々ととれる。公の場で堂々と休むことが人々の幸福感に影響するのではないか、との思いが浮かぶ。世界中のいろいろな国々で、「いまが最高に幸福である」「幸福である」「不幸である」などのいくつかの選択肢から自分の気持ちを選ぶというアンケート調査をした結果、「いまが最高に幸福である」と答えた人がいちばん多い国はナイジェリアとメキシコだった、と新聞で見知ったことを思い出したからだ。メキシコ人が元来のんびりやだとは思わない。ましてやのんびりが国民性だなどとひとくくりに考えたりもしていない。ただ心に余白をもっていて、キツキツの気持ちで生きたりしない、休息上手な人が多いように思う。と、広場のベンチで、「いまが最高に幸福である」と感じているに違いない人々にまじってくどくどと考えながら、この思考をとめなければ幸せになれない、と思うのだが、これがどうもうまくいかない。オアハカ州の陶芸一家アギラール ファミリーは、中央広場でくつろぐ、またはものを売るような市井の人々をそののんびりとした心持ちをそのままうつしたような陶人形をつくる。太鼓腹を突き出して座る酔っぱらいしかり、花売りの女性しかり、である。手元のこの陶人形をながめつつ、なにも考えない、なにもしないのんびりの練習をしようか。