LABRAVA

メキシコノート 0018

グァダルーペの聖母

メキシコの褐色のマリア、グアダルーペの聖母の祭壇
Uruapan, Michoacan, Mexico, 2009

カトリック信者が90%を占めるといわれるメキシコで熱烈に崇拝されているのが褐色の肌をしたマリア、グアダルーペの聖母。グァダルーペの聖母が奉られているグァダルーペ寺院には、メキシコのみならずラテンアメリカ全域から毎日数千の巡礼者が訪れる。

グァダルーペの聖母は、1531年12月9日、メキシコシティのテペヤックの丘で先住民フアン・ディエゴの前に現れた。先住民のような褐色の肌で、星でいっぱいのマントと光をまとった聖母は、この地に寺院を建てるよう求めたという。ところが、司教はフアン・ディエゴの話を信じなかった。テペヤックの丘でふたたび現れた聖母は、自分が現れた証拠に丘の頂上に咲いているバラの花をフアン・ディエゴに渡した。バラを司教に届けたフアン・ディエゴのマントには、グアダルーペの聖母の姿が映し出され、その季節に咲くはずのないバラの花を見た司教も、今度は聖母の出現を信じてくれたという。そして、ついにテペヤックの丘にグァダルーペ寺院が建てられたというのが、聖母の出現譚である。

だが、褐色のマリアはメキシコに現れたグァダルーペの聖母だけではない。スペイン中西部のグァダルーペにも有名な黒いマリアがいるし、そのほかにもフランスのル・ピュイのノートルダム大聖堂、ポーランドのヤスナ・グラ僧院などヨーロッパのいろいろなところに黒あるいは褐色のマリアはいる。なんと日本でも山形の鶴岡カトリック教会で見ることができる。このマリアたちのほとんどは、エジプト神話の女神イシスやキリスト教以前に信仰されていた地母神と結びつけられたため、肌が黒あるいは褐色をしているらしい。メキシコにおいては、褐色の肌のグアダルーペの聖母が、アステカの神トナンツィンとも重なって受け入れられたようだ。これはカトリック教会が新大陸の先住民たちを改宗させるために彼らと同じ肌の色のマリアを利用したともいえるのだけれど、その真相がどうだろうと、メキシコにおいてグァダルーペの聖母は熱烈に愛される存在となった。そして、その後もグアダルーペの聖母がおこなったとされるいくつもの奇跡が、より人々の敬愛を集めることになったらしい。

グァダルーペ寺院を訪れると、その敬愛の深さを身をもって感じる。願をかけて聖堂の外から内陣までひざで歩く人、ご本尊のグアダルーペの聖母が現れたマントを前に嗚咽をもらす人。無神の身ながら、そういう光景を目の当たりにすると、信じることの清さのようなものを感じずにはいられない。ところで、ご本尊を参拝する人の流れを円滑にするためなのだろう、グァダルーペの聖母のマントの前に動く歩道が設置されていて、これに乗らないと間近には拝めない。あっという間に通り過ぎてしまうのだから、泣きながら見つめ、すがるように祈る参拝者には無慈悲なハイテクだ。この新しい聖堂は、メキシコ国立人類学博物館を設計したペドロ・ラミーレス・バスケスによって1976年に建てられたもの。もとの聖堂は地盤沈下で傾いて老朽化も進んでしまったため、こちらのハイテク聖堂がつくられたのである。

メキシコでは、そこいらじゅうでグァダルーペの聖母と出会う。各家庭の祭壇に自動車にバスターミナルに市場に、あらゆるところに祭られている。各地の聖堂の前では像も売られているし、ポスターや絵もある。お守りでもペンダントトップでもグアダルーペの聖母をモチーフとしたものがあちらこちらに。もちろん、メキシコ各地のフォークアートの世界でもたくさんつくられていて、ガイコツ、フリーダ カーロとともに3大モチーフといえるほどだ。本物顔負けの美しいグァダルーペの聖母もかわいいグアダルーペの聖母も、やきものや木彫りなど材料や技法、さらに作家によっていろいろなグァダルーペの聖母がいてなかなか楽しい。ちょっと町中をうろうろしてみるだけで、グァダルーペの聖母はメキシコ人にとってなくてはならない存在だということがよくわかる。今やカトリック教会のたくらみは関係なく、ヨーロッパに点在する褐色のマリアやスペインのグァダルーペのこともともかく、グアダルーペの聖母は先住民のそしてメキシコの聖母マリアで、とてもメキシコ的な存在なのだ。