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メキシコノート 0008

国立芸術宮殿のフリーダ カーロ生誕100周年記念展覧会

フリーダ カーロ展覧会
Mexico D.F., Mexico, 2007

2007年は、フリーダ カーロ生誕100周年ということで、6/13から8/19までメキシコシティの国立芸術宮殿で大規模な回顧展「Frida Kahlo. Homenaje Nacional 1907-2007」が開催された。

初日、たまたまメキシコシティに滞在していたので、国立芸術宮殿に足を運んでみた。もちろん会場内に入るつもりだったのだけれど、周りをぐるりと警官が囲んでいる。尋ねると、カルデロン大統領がやってきているためだとのこと。この日はオープニング・レセプションがおこなわれるので、一般人は入れないらしい。警官を囲むようにたくさんの人も集まっている。2006年の大統領選で次点となったオブラドールの支持者と教員組合が大統領に抗議するために小規模なデモをやっているのと、ただ集まっている人々だ。国立芸術宮殿前の、いつもはすごい交通量のファレス通りも通行止めになっている。この機会に大通りの真ん中を大手を振って歩いてみた。

さて、翌日、仕切りなおして出かけた。展示作品のなかには、2003年に日本で開催された「フリーダ カーロとその時代 メキシコの女性シュルレアリストたち」展でみた作品も含まれており、なつかしいような気持ちにさせられた。作品の点数もさることながら、この回顧展ではフリーダの手紙や写真なども併せて展示されていたところが新しい。これがことのほかおもしろく、主治医にあてた手紙の端の落書きや普段着のスナップ写真に、フリーダ カーロのかわいらしさがかいま見え、ほっとさせられるような気がした。きっと、フリーダといえば、あまりに壮絶な人生と、数ある穏やかな作品の印象を凌駕するかのような痛々しい自画像が、ついつい思い出されるからだろう。フリーダ カーロ自身が作品のように感じられるこの展覧会、日本でも、と思ったけれど、今のところ予定はないらしい。

会場となった国立芸術宮殿は、劇場もあるアート・センターとしてつくられたものだ。20世紀初頭、時の大統領ポルフィリオ・ディアスの命により、イタリア人の建築家アダモ・ボアリによって着工された。しかし作業は革命のために頓挫、ボアリもイタリアへ帰国してしまう。革命後、メキシコ人建築家フェデリコ・マリスカルが引き継ぎ、1934年に完成した。各階の回廊の壁面にはルフィーノ・タマヨ、フリーダ カーロの夫ディエゴ・リベラ、シケイロス、オロスコと、錚々たる顔ぶれの画家たちが壁画を描いている。鑑賞の合間に、この壁画をながめながらベンチでひと休みしていると、格幅のいい初老の男性が声をかけてきた。リタイアした医者だというその人、日本人かい? ヒロシマやナガサキはひどかったね、メキシコもグリンゴにはひどいめにあわされたよ、という。続けて、ところでなんでアメリカ人のことを「グリンゴ」っていうか知っているかい? 米墨戦争のとき、グリーンの軍服を来ているアメリカ人にメキシコの人々が「アメリカに帰れ!green go !」って叫んだことから、そういわれるようになったんだ、と。白人の、ことにアメリカ人の蔑称であるグリンゴの語源には諸説あって、ほんとうのところはわからないけれど、このメキシコ人の心の底をあらわしているかのような壁画に囲まれていると、国土の3分の1をアメリカにとられたメキシコの人々が憎しみをこめてそう叫んだ、というのもまんざらうそじゃないような気がしてくる。内装はアールデコ調だが、国立芸術宮殿のなかは、とてもとてもメキシコ的な空間なのだ。

展示を見終えて、入り口近くのミュージアムショップものぞいてみる。と、数々のフリーダ グッズのなかに、見慣れた人形が。アギラール ファミリーのつくるフリーダ カーロ人形も並んでいたのだ。見る人によれば、フリーダの自画像を立体の陶人形にするなんてふざけすぎ、と思うかもしれない。でも、フリーダ カーロという芸術家の、国をあげての展覧会の会場で、すばらしいと思えばこういう小さなアートも並べることができるというところに、メキシコの美に対する懐の深さを感じる。これでこそ、まさに芸術の宮殿だな、とひとりごちた。